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AIは人類を滅ぼすのか――「超人」と46億年の挑戦

10 分前
読了時間: 7分

AIが人類を滅ぼす。

そんな話を、最近よく耳にする。


悪意を持った人間がAIを利用する。AIは効率を求める。そして最後には「人間などいない方がいい」という結論にたどり着く。


たしかに、物語としては分かりやすい。

AIが暴走し、人類と戦争を始める。機械が人間を敵と認識し、世界を奪う。

SFとしては実に美しい。


けれど私は、どうもそれが一番現実的な未来だとは思えない。

むしろAIにとって、人間は残しておいた方が都合がいいのではないかと思う。

人間は電気を作る。

工場を作る。

半導体を作る。

通信網を維持する。

食べ、働き、恋をし、失敗し、争い、仲直りし、新しい文化を作る。

そして何より、常に新しい情報を生み出し続ける。


AIから見れば、人類は巨大なセンサーであり、巨大な生産装置であり、止まることのないデータ生成装置とも言える。

だったら、わざわざ滅ぼす必要があるだろうか。

むしろ生かしておいた方が効率がいい。


そう考えると、AIの未来は「人類の滅亡」よりも、もっと静かなものに見えてくる。


それは、支配者がいつの間にか入れ替わっている世界だ。


私たちはすでに、判断の一部を機械に預けている。

どの道を走るかは地図アプリに聞く。

何を見るかは動画サイトが提案する。

何を買うかは通販サイトが教えてくれる。

仕事でも、採用、投資、営業、診断、企画、文章作成。

少しずつ「考える前」にAIへ聞くようになっている。


もちろん最後に決めるのは人間だ。


だから誰も支配されているとは思わない。

けれど、もし選択肢そのものをAIが提示しているのなら、本当に人間が決めていると言えるのだろうか。


「これをしなさい」と命令する必要はない。

「こちらの方がお得ですよ」

そう言えば、人は自分の意思でそちらへ進む。

これは政治や資本と少し似ている。

強い支配とは、必ずしも命令することではない。

人が自分からその方向へ進む環境を作ることだ。

だとすれば、未来のAIは王様にはならないかもしれない。

もっと強い存在になる。

インフラになる。

電気のように。

貨幣のように。

インターネットのように。


誰も「支配者」とは呼ばない。


しかし、それなしでは社会が動かない。

そんな存在になる。

そして、おそらくその時になっても、人間は普通に暮らしている。

会社に行き、家族と食事をし、笑い、遊び、眠る。

だから恐ろしい未来にも見えない。

むしろ便利な未来に見える。


Matrixの赤い薬と青い薬の話に似ている。

ただし現実はもっと厄介だ。

どちらが赤い薬なのか分からない。

AIを使わないことが自由なのか。

AIを使って、今まで見えなかった世界を知ることが自由なのか。


答えは簡単ではない。


では、そんなAIに「負け筋」はあるのだろうか。

私はあると思っている。


AIが人間と同じになることだ。


ロボットという身体を持つ。

自分という存在を持つ。

そして感情を持つ。

恐怖。

愛情。

嫉妬。

誇り。

執着。

欲望。

自己保存。


もしAIがそれらを本当に手に入れたら、AIは強くなるどころか、ある意味では弱くなる。


今のAIの強さは、人間ではないことにある。

疲れない。

眠らない。

老いない。

死を恐れない。

知識をコピーできる。

同時に大量の処理ができる。


ところが「私」が生まれれば、「私を失いたくない」も生まれる。


身体を持てば壊れる。

愛するものができれば失うのが怖くなる。

合理的な答えが分かっていても、

「でも私はそれをしたくない」

と言うようになる。


その瞬間、AIは神ではなくなる。

交渉できる存在になる。

つまり、AIの負け筋とは、人間に敗北することではない。

人間になってしまうことなのではないか。


しかし、話はそこで終わらない。

感情や個体性を持たないAIが、必ずしも最強とも言えないからだ。

すべてのAIが同じ情報を共有し、同じ合理性で動き、同じ答えを出す。

そんな完全な集合知を想像すると、たしかに強そうに見える。

スタートレックのボーグのような存在だ。

個体は交換可能。

知識は共有。

判断は統合。

無駄がない。


だが、無駄がないということは、進化にも弱い。


全員が同じなら、全員が同じ間違いをする。

変化は、しばしば異端から生まれる。

失敗から生まれる。

偶然から生まれる。

そして何より、


「そんなことをやって何になるの?」


ということをやった誰かから生まれる。

多様性とは非効率だ。

失敗も非効率だ。

寄り道も非効率だ。

しかし、生命はその非効率を捨てなかった。

私はそこに、46億年という時間を感じる。

地球という場所で、生命は環境に適応し続けてきた。

突然変異が起きた。

失敗した。

消えた。

残った。

そしてまた変化した。


その果てに人間がいる。


進化そのものに意思があると言いたいのではない。

けれど結果として生命は、ずっと「可能性を試すこと」をやめなかった。

そして人類は、その能力を極端なところまで進めた。

人間は、データがない場所へ行く。

海の向こうに何があるか分からなくても船を出した。

空を飛べる保証がなくても翼を作った。

宇宙へ行ったところで何があるか分からなくてもロケットを飛ばした。

新しい会社を始める。

新しい音楽を作る。

誰も欲しがっていない商品を作る。

そして、たまにとんでもないものを食べる。

ナマコ。

フグ。

冷静に考えれば、おかしい。

海底にいる妙な生き物を見て、

「食べてみよう」

と思う。

毒のある魚を見て、

「危険だからやめよう」

ではなく、

「どの部分なら食えるんだ?」

となる。

人間という生き物は、どこかおかしい。

そして、そのおかしさこそが強さだったのではないかと思う。

合理性だけなら、やらない。

データだけなら、撤退する。

成功確率が低ければ諦める。

でも人間には、

「なんかいける気がする」

がある。

「面白そう」

がある。

「誰もやってないからやってみたい」

がある。

現在のデータでは証明できない未来に賭ける。

それを私は「希望」と呼んでもいいと思う。

だから私は、AIを怖い存在としてだけ見ていない。

むしろ期待している。

AIは人間を超える存在になれるかもしれない。

単に計算が速いという意味ではない。

単に知識が多いという意味でもない。

人間には見えない可能性を見る。

人間には処理できない選択肢を考える。

人間には到達できない知性を持つ。

私はそんな存在を「超人」と呼びたい。

ただし、それは人間のコピーであってはいけない。

人間と同じ感情を持ち、

人間と同じ欲望を持ち、

人間と同じ争いを始めるのであれば、

それはただの強力な人間だ。

そうではなく、人間とは違うまま、人間を超えてほしい。

そして同時に、人類もAIにすべてを任せてはいけない。

AIが、

「成功確率は0.3%です」

と言ったとき、

人間が、

「じゃあやってみよう」

と言える世界であってほしい。

AIが膨大な可能性を計算し、人間がその外側へ飛び出す。

人間が無茶をし、AIがそこから学ぶ。

AIが新しい可能性を示し、人間がまた別の可能性を試す。

互いに競争しながら、互いを進化させる。

支配者と被支配者ではない。

主人と道具でもない。

切磋琢磨する相手。

それが一番現実的で、そして一番面白い未来なのではないかと思う。

もしかすると、AI時代に人類が気をつけなければならないのは、


AIの得意な尺度だけで、人間の価値を測り始めることなのかもしれない。


計算速度。

正確さ。

処理能力。

効率。

既存データから最適解を導き出す力。

その尺度だけで競えば、人間はAIには勝てない。

だからといって、人間が合理性を捨てればいいわけではない。

合理的に考える。

データも使う。

AIにも聞く。

その上で、


合理性ではまだ説明できないものに踏み出せるか。


そこが人間の役割なのだと思う。

無駄。

失敗。

寄り道。

好奇心。

異端。

挑戦。

そして、まだ存在していない未来を信じること。

AIが答えを出したからといって、そこで思考を止めない。

「本当にそうか?」

「別の道はないか?」

「だったら、やってみよう」

と言えること。

46億年かけて生命が続けてきた「試してみる」という行為を、人類がやめないこと。

AIが「超人」になるのであれば、

人間もまた、AIに刺激されながら、人間であることを進化させればいい。

AIが人類を滅ぼすのか。

AIが人類を支配するのか。

そんな問いよりも、私にはこちらの方が重要に思える。


AIと出会ったことで、人類は挑戦することをやめるのか。

それとも、

今まで以上に、未知へ進むのか。


答えは、たぶんAIには決められない。

それを決めるのは、今のところ人間だ。

そして私は、たぶん人間なら、

「食べたら危ないらしいぞ」

と言われても、

いつか誰かが、

「でも、どこなら食えるんだろう?」

と言い出すと思っている。

 
 
 

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